本を読む女。改訂版

関西弁でだらだらと本の感想書いてます。
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# 「地下室の手記」ドストエフスキー/安岡治子訳
地下室の手記(光文社古典新訳文庫)
地下室の手記(光文社古典新訳文庫)
  • 発売元: 光文社
  • 価格: ¥ 580
  • 発売日: 2007/05/10
  • 売上ランキング: 97639
  • おすすめ度 4.0


初ドストエフスキー、初古典新訳文庫。
「カラマーゾフの兄弟」が売れまくったことは、今年の読書界のニュースの一つに
挙がると思うんだけど、そのころから気にはなっていたのよね、ドスも古典新訳も。
だって表紙かわいいし、「新訳」ってなんだか読みやすそうだし。

古典新訳文庫は、まあそういうわけで、「猫とともに去りぬ」、「神を見た犬」が手元にある。
なんで犬と猫なんだ、とつっこんでしまうが、短編集だし興味をひく内容だったので。
しかしまだまだ手がつけられない、修業が足りないと思ってるところだった。
だって新訳とはいえ古典ですよ古典(←偏見)。普通の翻訳でもまだまだ時間かかるのにさ。

「カラマーゾフの兄弟」もねえ、なんかどろどろしてそうだし面白そうだけど、
むー、まだ早いなあ、読むかなー、どうしようかなーと思ってるうちに
年も暮れ、そしてこの本が「励まし合って読書会」課題本になったということで、
やっと初めて手に取ってみたのでしたわ。ははは。
ま、結局励まされないとはじめられないのよ、こういうことって。私はね。
さて、地下室の手記。第一部と第二部に分かれているこの作品は、
第一部では40代元官吏の男が引きこもってぐだぐだと考えている。
賢いのは俺だけだと思っている彼は世間の自然の流れに沿って普通に生きていけなくて、
あれやこれやと御託を並べては世の中をバカにしている、と思われるんだが、
何が言いたいのかさっぱりわからない第一部。誰とも会わずにひたすらに続くモノローグ。
なんだかいらいらしてしまうし、ぐだぐだ言わずにとっとと外に出て行け、と思う気持ちと、
彼の気持ちもわかるような気がする、と思ってしまう気持ちが半々といったところ。

最初ものすごく読みづらいし、新訳だから読みやすいなんて油断していた私が迂闊だった、と
自分を呪いながら、彼のぐだぐだをただ読む、という感じだったが、
第二部の回想録に入ると台詞も出来事もあるせいだろう、俄然読みやすくなって、
そこで彼の言動が明らかになるにつれ、第一部のぐだぐだもわかってくるというか、そんな感じ。
これから読む人は、前半ちょっと我慢して読んで欲しいなと思う。

私、あまり飲み会とか、人と会うのが好きじゃない。行く前からいろいろ考えちゃう。
「呼んでくれたけど社交辞令だったかな、あまり知らない人たちだし、邪魔かも」とか、
「企画したけどみんな本当にやりたがってたのかな、無理矢理のせちゃったかな」とか、
うざい、ってくらい考える。たまにやけど、考えすぎて行けなくなることもある(体調を崩すのだ)
行ったら行ったで、「さっき言ったこと冗談のつもりやったけど、○○くんは気にしてるかな」とか
考え出すと喋れなくなって、黙ってちびちびとお茶を飲んだりしているのだった。

主人公はこの、飲み会に行けなくなる私、みたいな感じで考えすぎて、
更に人生に踏み出していけなくなった感じかなあ、と思いつつ読む。
誰もね、思ったほど私の出席や欠席を気にしちゃいないし、そこまで強烈なキャラでもないんだし、
私の言ったことも気にしちゃいないのにな、と思うと、私もある意味自意識の塊なんだろう。

あまりに自意識が強かったら、確かに人は引きこもるのだろうな。誰にも会わない方が楽だもの。
みんなが俺を嫌っているのではないか、俺の言動をバカにしてるのではないか、
俺を惨めだと思ってるのではないか。そう思ってしまうと外には出れないよね。
でもね、例えばイケメンがね、「俺ってモテないっすよ」発言とかするじゃないですか、
でもそういうのって、自分を客観的に見た発言とは悪いけど思えないわけで。
でもこの主人公の俺が「俺って駄目なんじゃ」と思ってるってのは、多分実際駄目なのよ。
非常に的確に自己を客観視出来ちゃってるわけで、それが彼の悲劇でもある。

そんな風に全て自覚して自らの不必要性を認識してしまっている彼、だけれども
それでも彼は理論武装して、自己を正当化せずにはいられない。
どうして俺はこもっているのか、いやわかっている俺が悪いのはわかってるんだが、
それでもいろいろ言ってしまう。彼の詭弁は自己武装で、もろい鎧とわかってるからこそ、
だからこそ、この物語は滑稽で、哀しい。

後半は彼の回想録。どうして彼は今こうやって籠もって、自己正当化しているのか。
彼の回想は正直、ちょっと面白い。
将校に一度身体をぶつけられよけてくれなかったことを2年間も根に持って、
今度通りかかったらよけないぞ、ぶつかってもよけたりしない、とやっと決めたはいいけど、
じゃあこんな無様な服装では駄目だ、と、借金してまで毛皮を買う。
絶対将校は彼のことなんか綺麗さっぱり忘れてしまってるし、今度ぶつかったとしても
やっぱり一瞬にして忘れ去ってしまうであろうに、それでも彼は考えてしまうのだ。
自分が嫌われているとか、無様だとか、そういうことは客観視できるんだけど、
誰も自分に関心を払っていないということは客観的に見れないのかなあ。

そんな彼の日常、嫌われても仲間の飲み会に行って虚しく一人うろうろするとか、
コントみたいに滑稽なんだけど、なんだかすごく哀しいんだよねえ・・・
他人事ではないようで。私をデフォルメしたのが彼みたいな気がして。

彼は結局売春宿で女の子に説教しちゃってまた痛々しいんだけど、
それでも彼女は彼を理解しようとしてくれる。なのに、やっぱり彼はうまく生きられない。
いろいろ考えて考えてうまく生きられない彼が、あまり他人事には感じられなかった。

鈍感に何も感じずに生きられる人って幸せだと思う。私はいつも思ってることだけど、
自分が嫌われるような言動をして嫌われていると全く自覚していない人たちというのはけっこういる。
でも、彼らは自分の至らなさを自覚していないし、嫌われているとも思っていないので、
自分に自信があるし、堂々としている。そして更に嫌われても気づかない。
ストレスは周りが溜めていくけれど、彼らにはたまらない。彼らは幸せなのだ。
いいなあ、鈍感って。生きやすくて。
でも私はそんな人と比べたらこの物語の彼の方が好きだ。自分の至らなさも、
哀しいくらい自覚してるもの。でも、自意識は過剰すぎるんだけどね。そこが問題なんだけど。
考えすぎるのも考えものだけど、考えないのも考えもの。生きるって難しい。

それでも頑張って世の中の外に出て、誰かと会ったりしながら、生きていかなきゃいけないな。
しんどいけど。頑張らなきゃ。

19世紀に書かれた話で古典なんだけど、
今の私たちにも十分に伝わってくる内容だったことに驚いた。
ずっと残るだけの普遍性を持つからこそ、古典って言えるんだなあ、と。
| comments(2) | trackbacks(0) | 17:26 | category: 海外・シリーズ別(古典新訳文庫) |
コメント
その人が感じていることを、その人が感じているようにそっくりそのまま分かることは無いのですから、自分は敏感で相手は鈍感だなんてわかったようなことを言うのはおやめになった方が良いと思います。
私には貴方が自分の痛みには「自意識過剰」で、他人には充分「鈍感」のように見えます。生きるのは難しいと、誰もが思って、悩んで生きています。あなたが鈍感で生きやすいと言う人も、同じだと思いますよ。

| リオウ | 2007/12/21 6:19 PM |

リオウさん
そうですね、すいませんでした。確かに自意識過剰なところはあるので、反省しました。
| ざれこ | 2007/12/22 10:33 PM |

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